佐賀地区山歩会 ウオーキング

山歩会‥ウオーキング記録  28回 ぶらり長崎街道と神埼宿・散策ウオーキング
年月日(曜日).天気 平成22年10月6日(水) 晴れ時々曇り 25℃
ウオーキングルート 神埼市役所⇒櫛田宮⇒問屋場跡⇒本陣跡⇒浄光寺⇒真光寺⇒西木戸口⇒神埼宿場茶屋
神埼宿場茶屋⇒薬師如来座像⇒馬場川⇒東の木戸口跡⇒ひのはしら一里塚⇒神埼市役所
駐車場 神埼市役所に、駐車場あり。

神埼へのアクセス
◆JR長崎線 鳥栖⇒神埼 約15分 380円

神埼ウオーキングルート

JR利用者は、神埼駅から

神埼市役所へ集合
ぶらり 長崎街道と神埼宿
 第28回山歩会(ウォーキング)は会員30名が参加、水と緑と歴史のまち神埼で長崎街道「長崎〜小倉までの57里(228Km)の道」の宿場の一つである神埼宿の「ぶらり旅」を行いました。1030分神埼市役所を出発、さわやかな天候の下、流暢な職員ガイドさんの案内で先ずは荘厳な櫛田宮(約1900年の歴史がある神埼荘の総鎮守)を学ぶ。次に長崎街道沿いの残存する家・跡地(本陣及び脇本陣跡、問屋場跡)・西木戸口と町並みを散策し「神埼宿場茶屋」で地元の神埼麺と名物ソーメン入りコロッケを賞味。その後は筑後川支流の馬場川(映画:がばいばあちゃんのロケ地)沿いに船付場や石段の洗い場を探索しつつ東木戸口を経て長崎街道に唯一現存する「ひのはしら一里塚」に到着、塚上より背振の山並みと吉野ヶ里遺跡の建物を眺めた後帰路へ、近郊にも「ちょい旅」出来、心癒せるスポットが在ることに気付いた楽しいウォーキングでした。(徳永 敏夫 記)
 *問い合わせ先: 神埼市商工観光課  電話:0952−37−0107
             神埼商工会      電話:0952−52−7131
櫛田宮
櫛田宮は約1900年前に創祀されたと伝えられる神埼荘の総鎮守。肥前風土記に荒ぶる神の伝説があり、農業神、厄除神として尊敬され、朝廷や武将の尊信が厚かった。境内には御神幸祭絵馬などの文化財が保存されており、一年ごとにみゆき大祭が奉納され、肥前鳥居の下を大神楽が舞う。(神埼商工会資料より)
神埼市役所から出発 宮内で説明をうける 櫛田宮
櫛田宮で説明をうける 能舞台 神埼そうめん発祥の地 記念碑
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櫛田宮で
長崎街道と神埼宿を歩く
長崎街道は長崎から小倉までの57里(228km)の道で、25ヶ所の宿場で結んでいました。鎖国時代、幕府の唯一の貿易港であった長崎には、海外から人物、知識、文化が入り、長崎街道は重要な文明ロード≠ニいわれていました。神埼には、藩の迎賓館お茶屋$ユや、脇本陣の武家屋敷、外国使節団の宿舎などがあり、宿場の東西のお出入りには、厳重な木戸を構え、午前6時頃に開門、午後10時頃に閉門されていたと伝えられています。現在も当時と同じ行程の道路が利用されており、東の木戸口近くには、長崎街道で唯一現存する一里塚(ひのはしら一里塚)があるなど、さまざまな文化が往来した長崎街道神埼宿の当時の面影をしのぶ事ができます。(神埼商工会資料より)
直角に曲がった長崎街道を歩く 画面にマウスで写真変化
旧古賀銀行神埼支店あと
長崎街道の説明をうける
            武家屋敷門
明治7年 佐賀の乱で焼け残った門。薬屋さんの店先に保存されている。
               古民家           鐘楼/時を伝えていた。
              真光寺                               浄光寺
神埼宿は寺の多いところだが、その中でもこの二つの寺は脇本陣としての役割があり、シーボルトなどの旅行記に記されている。
老舗 神埼そうめん店
               大円寺
河童堂に、地蔵菩薩が安置されいる。寺は5月になると、なんじゃもんじゃの花が咲く。
                               西木戸口
城原川の近く、西の入口にあった。街道は長崎に向かう時は、ここから左に折れ挽木町に入り、城原川を西岸に渡った。東口と同じように堅固な木戸口だった。
昼食休憩
長崎街道の休憩所 神埼宿場茶屋
TEL:0952−53−3040
そうめんが入った、神埼コロッケ定食
語らいパーク/足湯もありました
西木戸口⇒馬場川⇒東木戸口⇒ひのはしら一里塚
西木戸口から、一里塚へ       木造薬師如来座像及び脇待菩薩立蔵
かって櫛田宮の本地仏であったが、明治初年の神仏分離政策により現在地に移されたものである。
              馬場川
有明海から筑後川を経て、馬場川へと物資を積んだ船が往来し、中世から近世と神埼の経済の中心地を成していく上で重要な川だった。
              かくれんが
外観は銀行の書庫であった当事のままで、雰囲気のある赤レンガの中では喫茶、軽食が楽しめる。
             東木戸口跡
本藩の殿様が宿泊する本陣を持つ神崎宿には、堅固な構え口があった。木組み格子の扉が跳ね上がる、防御の強いものだった。
          ひのはしら一里塚
江戸時代。長崎街道に一里ごとに五間四方の築土をして、旅人に道のりを知らせ、休息地としての役目を果たしていた。長崎街道では、現存する唯一の一里塚である。

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ひのはしら一里塚で

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