佐賀地区同好会 里山歩き

遠征山歩きの記録  16  平成新山の溶岩ドームを真近に眺め、雲仙岳の紅葉を楽しむ
年月日(曜日).天気 平成19年11月4日(日)〜5日(月) 晴れ時々曇り 14℃
山名.高さ 雲仙普賢岳 1359m
山歩きルート 仁田峠(ロープウエイ)⇒妙見岳駅⇒妙見神社⇒国見分れ⇒紅葉茶屋⇒普賢岳⇒あざみ谷⇒仁田峠
宿泊先 雲仙休暇村
駐車場 仁田峠循環道路の仁田峠に、大駐車場あり。

雲仙仁田峠へのアクセス
 諫早ICから右折してR57を雲仙・島原方面へ進む。愛野展望台を通り、・千々石から県道128を進んで雲仙温泉街へ。再びR57へ出たら左折して雲仙ゴルフ場の先から仁田峠循環道路を上ると仁田峠の駐車場がある。

仁田峠で、ロープウエイを見上げる

仁田峠駐車場
雲仙岳 全山紅葉でお出迎え!

妙見岳(左)の紅葉と普賢岳(奥)を望む

紅葉茶屋の紅葉

平成新山の溶岩ドーム(奥)と紅葉

妙見岳と雲仙ゴルフ場(左下)・温泉街(右中)

国見岳(奥)と紅葉

紅葉茶屋の紅葉
仁田峠(ロープウエイ)⇒妙見駅⇒妙見神社⇒国見分れ⇒紅葉茶屋⇒普賢岳⇒あざみ谷⇒仁田峠
 連休の日曜日、仁田峠駐車場は満車である。準備をして、仁田峠より妙見駅までロープウエイに乗る。駅裏の妙見岳展望台へ、好天気に恵まれ島原湾越しに阿蘇や九州山地の山々、南に天草諸島から遠く霧島も見えている。右側には、普賢岳とその先に平成新山が左に国見岳が見える。展望を楽しんで鳥居がある妙見神社へ、左横から歩き易い稜線の道を進む。前方に国見岳を見て分岐を直進し、急勾配を下ると紅葉茶屋に到着、きれいな紅葉を見ながら小休止する。ここからは笹や岩場にロープがある急な坂道となるが頑張って登りきると普賢岳山頂に到着。
 山頂は大勢の登山者で賑わっている。今日は紅葉も見ごろで、雲仙観光協会主催の雲仙ウオークが行われているそうだ。山頂の周りは見事な紅葉が広がっている。とりあえず休憩場所を確保し、眼前に噴煙を上げる平成新山の溶岩ドーム見て昼食休憩する。あまり風もなく絶好の登山日和で、360度の眺望も素晴らしい。
 休憩後は紅葉茶屋まで戻り、仁田峠へ向けて薊谷へ降りる。所々に見事な紅葉を見て広葉樹林を進む薊谷にベンチがあり休憩する。休憩後、モミノキ原生林を通って仁田峠へ無事到着した。
 第16回佐賀地区山歩会(里山歩き)の遠征山歩きは、これまで初夏の花の季節に久住山・阿蘇山へ日帰りで行きました。三回目は紅葉の時期に初めての宿泊遠征で11名が参加されました。雲仙岳は全山が紅葉のピークを迎え、好天気に恵まれて紅葉狩りを楽しむ事ができました。宿泊での小宴会は、カラオケを熱唱し来年度の山歩きに話が弾んでいました。
二日目、南島原の歴史巡りは資料館の館長さんや地元のガイドさんに分りやすい説明をうけ好評でした。帰路は、有明フェリーを利用しカモメと船旅をして予定通りに戻りました。
仁田峠

仁田峠‥紅葉とススキがきれいでした
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仁田峠で、全員でポーズ
妙見岳

妙見岳展望台で‥平成新山をバックに集合写真です
普賢岳へ

紅葉茶屋へ、紅葉がきれいでした

普賢岳山頂へ、急な登りでした

昼食休憩/普賢岳山頂(平成新山ドーム前)で

昼食休憩
‥弁当、温かい味噌汁付き・コーヒーもありました

普賢岳山頂で‥万歳をしたので顔が隠れた人がいました
 
普賢岳へ、初めて登った皆さんです

中嶋さん

森一さん

早川さん

松田さん

羽根さん

吉田さん
普賢岳から 薊谷・仁田峠へ

紅葉茶屋へ降りました

紅葉した山道をあざみ谷へ下りました

樹林が綺麗なあざみ谷で、小休止です

帰りは余裕の表情です‥羽根さん

帰りは余裕の表情です‥中嶋さん

帰りは余裕の表情です‥吉田さん
雲仙休暇村宿舎で、懇親会 

普賢岳へ登頂し、生ビールで乾杯!

宴もタケナワ‥この後は、カラオケ熱唱でした
 カラオケ熱唱!
二日目‥南島原の史跡巡りをしました
口之津歴史民俗資料館・海の資料館‥南蛮船来航の地
営業:9時〜17時
休み:月曜日、年末年始
料金:一般 200円
    高校生 150円 小中学生 100円
    団体割引 (20名以上)
問合せ:050−3381−5089
 明治32年(1989年)に建設された旧税関庁舎を改装して資料館として利用。市唯一の明治時代の洋館建造物となっている。
 ここには昔の暮らしを知る生活用品などが展示されているほか、海の資料館では三池炭鉱の輸出に関する資料を展示。
 また明治32年に集団移住してきた与論島の人々を偲ぶ「与論館」もある。
(口之津歴史民俗資料館ガイドブックより)

二日目‥史跡巡りへ出発

口之津資料館へ

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館長自ら、熱弁の解説でした
原城址‥天草四郎と一揆衆が立てこもった最後の砦
 明日を信じた人々の戦い原城址、島原の乱を辿る
華やかなキリシタン文化の拡大は、一世一代の悲しい運命をも招き入れることとなる。当時キリシタン大名であった有馬晴信によって築城された原城。島原城の築城後、一国一城の令によりあえなく廃城となった。しかし、16歳の天草四郎時貞を盟主とした島原の乱により、城は悲しい役目を果たすべく蘇り、乱の最後を見届けた。
 そして今、再び城は奮い立ち、私達に問いかける。生きるとは、信仰とは、自由とは何なのか!
 島原の乱最後の決戦地
有明海を望む高台にたたずむ国指定史跡の「原城址」。約370年前の島原の乱で、天草四郎を総大将に農民ら3万人余りが最後に立てこもった城址が、ここ南島原市に残る。
 1992年、この地を整備する前段として始まった発掘調査。しかし当初の予想をはるかに超えるキリシタン遺物が出土。その数は日本一といわれており、全容解明に向け今も調査が続いている。
 原城本丸の周辺には乱にまつわる様々な遺跡が点在しており、はるか昔に起きた島原の乱の壮絶さがあなたの目の前で蘇ることだろう。
(南島原市観光ガイドブックより)
 原城址観光ガイドは、南島原市地域振興課へ。 TEL:050−3381−5032  WEB:
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原城跡の説明板

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地元ガイドさんの説明をうけました

総大将 天草四郎時貞の像もありました
平成新山 火砕流のつめ跡 帰路は、多比良〜長洲の有明海をカモメとフェリーの船旅
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